2016年12月27日火曜日
あの日はどうしてあんなに暖かかったのだろう
僕がクラシックギターを習っている先生の1人に佐藤弘和さんという方がいる。今年の夏ごろ、編曲と作曲について勉強したくてダメもとでご自宅にお電話したところ快くレッスンを引き受けてくれた。それが出逢いのきっかけだ。
弘和先生の作品は以前から演奏していて、中でも「tears in heaven」僕がyoutubeに初めてアップロードした作品で僕の大切なレパートリーになっている。
その他にもmy favorite thingsやcalling youは自分のコンサートでも演奏している。
弘和先生の編曲した作品は一言で表すと「弾いていて楽しい」のだ。とにかく楽しい。別の曲を練習しなければいけないときも気がつけば、弘和先生の作品を演奏している。
弘和先生の作品のモットーは「弾きやすく、メロディアスであること。」その言葉通りに聴いていても、歌が聞こえてくる。
もっともっと弘和先生について勉強したい。曲を書きたい。アレンジをしたい。
そう思っていた矢先、
弘和先生は旅立ってしまった。
どうして。
なんで。
どうして。
ガンだった。50歳だった。
僕が初めて弘和先生にお会いしたのは今年の夏だ。レッスンを受ける為、ご自宅に行った時まず感じたのはイメージと違いすごく穏やかで優しい人。そして、痩せていた。
一時間のレッスンの中で沢山の事を話してくれた。調弦のこと、曲のテーマ、感覚について、ドメニコーニをはじめとした作曲家の話をニコニコしながら話してくれた。
先生が話すだけで心が落ち着いて、ずっと聞いていられた。
レッスンが終わり、帰る時にどうしても気になることがあった。
やっぱり痩せている。
「夏バテとかかな?それとも体調が悪いのかな?」と思い、
「先生、もしかして体調が優れないのですか?だとしたらそんな中レッスンを引き受けてくださってありがとうございます。」と言うと
「うん、ちょっとね。」「ガンなんですよ。」
「え」
「うん。でも大丈夫!今は色々治療をしているからね。また曲作ったら見せに来てよ!」
「はい。絶対きます。」
そう言って家を後にした。
次に弘和先生の家に行ったのはその1ヶ月後くらいだろうか。先輩ギタリストの瀬戸輝一さんも一緒だった。
3人でギターの話、作曲方法について話し合った。
前よりも痩せていた。
でもその時も「治療を頑張ってるよ。」と言っていた。だから僕も絶対治ると思った。
それから3ヶ月後に訃報があった。
知った時は膝から崩れ落ちた。
facebook上では弘和先生を悲しむ、偲ぶ声が数多く寄せられた。
国外から、世界中のファンがメッセージを送っていた。
どうしてこんなに素晴らしい音楽家に病がきてしまうの。
そんなのおかしいよ。
願わくば先生のレッスンをもっともっと受けたかった。もっと色んな事教わって、沢山の話をしたかった。もっと曲のアドバイスを受けたかった。先生のギターも聴きたかった。もっと早く会いたかった。もっと、
先生は僕が帰る時、いつも「じゃ、握手しよ♪」と言って僕の手をギュ、と大きくて温かい手で包んでくれた。
もう握手もできない。会えない。会えない
でもね
僕は、僕らはいつでも弘和先生に会えるんだ。
弘和先生が作った楽譜を見れば隣で「ここはこんな感じで弾くんだ♪」とか
曲を弾けば「いいね♪」とニコニコしながら後ろで聴いている。
僕らの中で生きてるんだ。会いに行けるんだ。
だからこれからも佐藤弘和作品を演奏していきたい。
先生が旅立った日の夜、とても12月とは思えない大雨と風が吹き荒れた。
次の日に先生の家に行き、先生に会ってきた。多くの人が駆けつけていた。
昨日降ったのは雨じゃない、皆の涙だったんだ。
ご家族の方に話を聞いたが先生はその4日前までギターとマンドリンの為の2重奏の譜面を書いていたそうだ。譜面も見せていただけた。とても綺麗だった。
すごいや。最後までギタリストだった。本物の音楽家だったのだ。
その譜面には面白い指定まで書かれていて、来ていた人たちでそれを見て「こんなことまで書いてある」とクスクス笑った。
先生、本当にありがとうございました。
また会いに行くので先生も僕の隣からひょこっと顔を出してください。
先生の家を出た時、昨日の雨が嘘のように晴れてまるで春のようだった。
あの日はどうしてあんなに暖かかったのだろう。